医学部入試小論文の頻出ワード『混合診療』

混合診療とは…

保健で認められている保険診療と、認められていない保険外診療(自由診療)を組み合わせた診療のことです。通常、3割負担である保険適用部分も自費診療扱いになり、治療費は患者の全額負担になる。日本では、混合診療は原則禁止されているが、例外として、認める対象を大きく広げる患者申出療養制度が2016年4月に実施されました。

保険外診療である先進医療を患者が行いたいと考えた場合、以前は病院側の判断で申請していましたが、新しい制度ではまず患者の希望を受けてから病院が申請します。また、リスクの低い治療なら全国およそ400か所の医療機関で受けられるようになります。混合診療を認めるかどうかの個別の審査も、国内初の症例なら6週間、すでに症例があるものなら2週間で結論を出すようにしてスピード化をはかります。

混合診療の拡大が進めば、患者の選択肢が増え、新薬や医療機器の市場を拡大することが期待されています。そのためには、医師が治療内容や安全性、有効性を充分に患者に説明した上で、患者が理解して納得することが必要です。

混合診療解禁によって科学的根拠のない治療法が助長される恐れがあるうえに、今後生じてくる新たな医療が自由診療に含まれたりするようになる可能性もあります。もしそうなれば、混合診療を解禁することが結果的には患者の負担増を招き、医療格差の拡大につながりかねません。つまり、お金のある人だけが、よい医療を受けられるという状況になることも否定できないでしょう。

医学部入試小論文の頻出ワード『脳死・臓器移植』

脳死とは

かねてから、人の死を決定付けるのは心臓の停止だとする考えが当たり前でした。呼吸の停止、心拍の停止、瞳孔の拡大の三つのいわゆる三兆候説と呼ばれるものです。医師が死亡確認の際に呼吸、脈拍、対光反射の消失を確認することはこれに由来しています。

しかし、交通事故などで脳に大きな損傷を受けて、脳の機能が不可逆的に停止する場合があります。つまり、人工呼吸器などの生命維持装置で生かされている状態です。この状態を脳死といいます。

臓器移植とは

臓器移植とは、病気や事故などで臓器が機能しなくなった場合に、他人や他の動物の健康な臓器を移植することをいいます。さらに、臓器の提供者をドナーといい、臓器を受容する者をレシピエントといいます。ドナーが生きていれば生体移植、死んでいれば死体移植といいます。

臓器移植の目的は、ひとりでも多くの患者の苦しみを緩和して、尊い生命を救うことにあります。しかし、未だに問題点も多いです。まず、脳死判定の正確性や安全性に問題が残ること。そして、人体を機械の部品のように扱うことで臓器売買が行われ、生命倫理上の問題があること、とくに子供は臓器売買に関するビジネスや犯罪に巻き込まれやすいこと。さらに臓器が欲しくて患者の延命治療を積極的に行わない医療現場の風潮が生まれる可能性があること。このような問題が挙げられます。

旧臓器移植法の問題点

日本では1997年、臓器移植法が成立し、臓器移植を前提にした場合のみ、脳死判定によって脳死を人の死と認め、臓器移植が可能となりました。これによって、脳死体から臓器移植をすることで、多くの患者を救うことにつながる道が拓けたといえます。

ただし問題点もあります。同じ脳死状態であっても、臓器移植を前提にした場合は、脳死判定を経て患者は死んでいることになります。しかし臓器移植を前提としない場合は、患者は生きていることになり、心臓の停止によってはじめて死んだことになります。つまり、2つの死が存在する結果になったのです。また、患者本人による書面での臓器提供の意思表示と家族の同意が必要だったり、15歳未満の者からの臓器提供や、親族への臓器の優先提供は認められないという事情から、臓器移植があまり進見ませんでした。実際、2009年の春までに行なわれた臓器移植は約80名にとどまっています。

新臓器移植法の改正点

2009年、なかなか進まない臓器移植を増やす方向で臓器移植法が改正され、以下の4つの点が大きく変わりました。

1つ目は、臓器移植の場合という条件を撤廃し、一律に脳死を人の死とするようになりました。2つ目は、患者本人の書面による意思表示を不要とし、患者本人が拒絶しない限り、家族の同意のみで臓器摘出が可能となりました。3つ目は、臓器提供者の年齢制限を撤廃し、15歳未満の者からの臓器移植も可能となりました。4つ目は、親族への優先提供が認められるようになりました。

臓器を待つ患者の立場から見ると、よい方向に改められたといえますが、患者の意思表示を不要するという点については、脳死状態にある患者の人権が軽視されかねないため、今後さらなる議論の余地が残されています。また、患者本人の書面による意思表示が不要となったことで、家族が臓器提供に同意するかどうかの判断をしなければならず、大きな精神的負担を強いることになると批判されています。

また、旧法では臓器提供を受けるのは、移植ネットワークによって作成された移植待機者リストの順番に従って決定されており、脳死患者の親族への優先的な臓器移植は認められていませんでした。改定後は脳死患者の親族に対して、臓器移植が必要であれば優先的に提供がなされることになりました。

医学部小論文の頻出キーワード『EBMとNBM』

EBM(Evidence based medicine)とは

近頃はビジネスなどの分野でも「エビデンス」というカタカナ語が使われるようになりましたが、”Evidence”とはとどのつまり「根拠」のことです。従って”Evidence based medicine”は「根拠に基づいた医療」と訳されています。意味合いとしては「根拠」というよりも「証拠」という言い方のほうがより正確であるとも言われています。

従来の医療では、それぞれの医師による経験に依存してきたところがあり、医療ががこれまでに蓄積してきた科学的な知見が十分に効率よく利用されることはそれほど多くありませんでした。このことに対する反省から、科学的知見の蓄積とそれによる根拠づけによって、より品質の高い医療を提供していこうというのが、EBMの基本的な考え方です。

NBM(Narrative Based Medicine)とは

“Narrative”とは「物語」のことです。つまり”Narrative Based Medicine”とは物語に基づいた医療と訳すことができます。物語の語り手となるのは患者自身です。医師は患者の語りを引き出すことに努めます。

NBMは、患者が語る「なぜ病気になったのか」、「どのような症状なのか」、「病気についてどう感じているか」といったストーリーを基に、患者が抱える問題をあらゆる面から把握したうえで、治療方法を考えて行きます。患者と医療従事者が対話を通じて良い関係を築いて行き、双方の満足が行く治療を行うことが目的となっています。

NBMの考え方は、従来の医療がEBMを重視してきた結果、良い医療を行なっても、患者の満足度が上がらず、医療従事者もやりがいや達成感を感じづらかったというジレンマを解消させるものです。

医学部小論文頻出ワード『医師不足』第三回

業務量増大に対する医師不足

近年、インフォームド・コンセント*1など、患者の権利と自己決定権を尊重する傾向が高まっており、あらゆる処置や検査のために、医師が患者にリスクとメリットを説明されることが求められるようになった。さらに、規制強化による文書類の増大化が進み、これもまた、医師の過剰労働の原因のひとつとなっている。

*1 Informed Consent
「正しい情報を得た(伝えられた)うえでの合意」を意味する。医療行為や治験などの患者・被験者が、治療や臨床試験の内容についておく説明を受け、十分に理解したうえで(Informed)、自らの自由意思に基づいて方針について合意する(Consent)ことである。

当然、説明を受けたうえで拒否することも可能となる。

説明の内容としては、対象となる行為の名称・内容・期待されている結果だけでなく、代替治療や副作用、成功率、費用なども含んだ、正確な情報が与えられることが望まれる。

また患者・被験者側も納得するまで質問し、説明を求めなければならない。

(英語の本来の意味としては、あらゆる法的契約に適用される概念だが、日本語で用いる場合は、医療行為に対してしようされる)
集約化不足による医師不足

日本は国土が狭く、中核の病院から100㎞以上の距離にある場所は少ない。ただし、同様の理由で国民の距離感覚は短いことがもっぱらであり、100㎞圏内・2時間圏内に中核病院があったとしても、病院が遠すぎる、あるいは病院がないと認識してしまうことが多い。

その結果、小規模の医療機関に小数の医師が分散し、各機関での医師の補充を難しくしているといえる。

前回まで医師不足の原因について、いろいろと見てきました。いろいろなメディアで、医師不足が叫ばれていますが、その実態についてはなかなか知られなかったと思います。

さて、今回は、その医師不足についての対策を見ていきます。現在行われている対策は全部で5つ。どのようなことが、行われているのでしょうか。

医師不足への5つの対策

1.医学部増員

厚生労働省は、医師不足対策の一環として、国立大学医学部の入学者を増員することを予定しています。しかし、卒業生が現場で働けるようになるまでにはかなりの年数を擁し、即効性はあまり期待できないのが現状です

2.女性医師の待遇改善

医師不足の原因にもあげましたが、女性医師が増えているとはいえ、その待遇に満足できる状況でないことも確かです。
出産・育児ののちに、女性医師が再び現場に復帰しやすいような環境、あるいは、両立できるような環境作りが模索されています。しかし、医療現場の現実はこれまで述べたように厳しく、改善に向かうことは、すぐには期待できそうにありません。

3.外国人医療従事者の招致

近年、医師や看護師を外国、特に途上国から招致しようという動きがあります。しかし、日本で医師免許を取得するためには、日本語で国家試験に合格できるレベルの語学力が必要となります。

また国家試験を受ける前にも、日本語能力試験や日本語診療能力試験に合格するなど、ハードルは多くあります。アメリカの医師免許であるUSMLEは、世界50か国に受験会場がありますが、日本の医師免許にはそのような整備がされていないなど、制度上の遅れもまた、存在しています。

経済的理由もあります。2008年にアメリカで行われた調査によると、アメリカの看護師の平均給与は年間65,130ドルであり、現在のレートで日本円に計算すると、年間612万円となります。対する日本では、平成22年の調査で469万円が平均年収となっています。このような給与差があるため、他国の看護師が日本を移住先としてあえて選ぶことは少なくなるのです。

4.コメディカルの活用

和製英語で、Co-medical(英語ではparamedic)とつづります。これは、医師の指示のもとに業務を行う医療従事者を指し、コメディカルスタッフとも呼ばれています。

医師の業務の多様化に伴って、医師業務の一部を看護師・介護士・事務員・検査技師などが代行できるような制度改革が検討されています。しかし、一部の公立病院などでは正規雇用の事務員や看護師の方が長時間の超過勤務をしている非正規雇用の医師よりも実態の時給が高いため、コメディカルに医師の仕事を一部代行させることは、病院経営の上では、不利となってしまいます。

5.医師の需給規制

現在、医師の計画配置の提案がされています。

たとえば…

開業医の一時的病院勤務の義務化
院長になるための条件として、僻地勤務経験の義務化
産婦人科・小児科の研修の義務化
各診療科ごとの定員設定

上記のような内容です。

しかしながら、以下のような懸念も、同時にあります。

赤字経営の開業医のさらなる負担
技能習得のための、数年の他科勤務は現実的ではない
これまで以上の負担は、医療職希望者の減少につながる
医籍登録は都道府県単位で行われており、県を越えた保険診療ができない

したがって、医師の計画配置は難しいというものです。ただし、最後の医籍登録に関しては、その規制を取り払うことで、
計画配置の必要性も低減するかもしれません。

医学部小論文頻出ワード『医師不足』第二回

地域偏在による不足

前回述べたように、日本は医師の数が絶対的に不足しており、また民間病院からの医師引き上げで、僻地から医師がいなくなるケースが生じている。各病院は自力で医師を探すことを強いられているが、実際問題として僻地と呼ばれる地方の病院に自主的に勤務する医者は少なく、結果として、地域偏在による医師不足が顕在化し始めた。

都会の病院や地方の大病院、あるいは有名病院は症例数が多く、新たな技術を学ぶチャンスに恵まれやすい。そうしたキャリア形成につながる状況を、やり甲斐と考える医師は多い。居住する地域の利便や子どもの教育環境を考えて、都会の病院を選択する医師もいる。また僻地の状況によっては、ほぼ24時間365日の拘束を求める病院もあり、体力的な問題から辞めるケースもみられるようになった。

一部の地方病院では、高額な報酬を設定して医師を招聘するといった試みが行われているものの、時として、求めに応じた医者に対して中小めいた発言が、市議やマスコミからされることもある。こうした社会的要因もまた、医師の定着の障害となっている。
診療科に属する医師の需給不均衡による不足

現状として、内科・外科・小児科・産科・救急は過酷な勤務状態にあり、転科したり、そもそも志望する医学生が減ってきている。2004年から始まった新臨床医研修制度において、2年間の間に複数の科を研修するスーパーローテート式の臨床研修が、事実上義務付けられた。それまでは大学卒業後に、そのまま志望する科の医局に入局していた。

これを言い換えるならば、新人医師は志望する科の具体的イメージを作り上げる前に、自身が勤務する科を選択していた、ということになる。しかし、この新しい研修制度によって、様々な科について診療を行う必要が生じた。そのため、志望する科の過酷な医療状況を認識し、志望変更するケースもある。特に産科は、福島県立大野病院産科医逮捕事件*1の影響により、「逮捕されるリスクある」との認識が広まり、産婦人科を婦人科のみにしたり、産婦人科を志望していた医学生が同科を選択肢から除外する傾向が強まっている。

また従来の勤務医も、過酷な労働条件に耐えかねて退職や開業をしたりと、勤務条件の悪い総合病院等の特定診療科における医師不足の拍車をかけている。こちらも前々回述べたように、女性医師が増加しているが、家庭と仕事の両立がなかなか実現していない科は増々敬遠され、労働環境がさらに悪化してしまうという悪循環が見られる。

ちなみに、病理診断科、臨床検査科は平成20年度から標榜診療科になったばかりであるが、そこに働く病理専門医や臨床検査専門医は、絶対数が不足している。また、監察医や解剖医の不足も、医師不足の一種といえよう。

*1平成16年12月17日、福島県立大野病院で帝王切開手術を受けた産婦が死亡したことで、手術を執刀した同院産婦人科の医師の1人が、業務上過失致死と医師法違反の容疑で逮捕・起訴された事件である。平成20年8月20日、福島地方裁判所は被告人を無罪とし、控訴は行われなかったが、医療従事者に与えた影響は大きい。

給与レベルに属する医師の偏在による不足

現在の医療保険制度では、診療報酬は医師の技量や経験と関係なく支払われる。よって、病院経営者としては高給のベテラン医師より給与の低い若手医師を雇用する方が経営が有利となるのは、当然である。

前回挙げた、2004年開始の新医師臨床研修制度により、医師は卒業時に地方の大学を離れ、研修環境の整った都会の病院を研修先として希望するようになり、経験と技術を、優れた環境で身に着けることとなった。これが新医師臨床研修制度の本来の目的ではあったが、このことにより、給与の安い医師が地方から減り、地方の大学も若い医師を地元の病院に供給することができなくなった。

その結果、地方病院の経営が圧迫されることになったのである。

外来患者数に対する医師不足

日本の医療費は、世界的に見ても非常に安価であり、患者は気軽に受診し、結果的に日本の医師は、年間平均8500人の患者を診察している。アメリカの年間平均は2200人であり、およそ4倍だ。医師の過剰労働となり、現場を離れる医師が増えるのも当然である。

医学部小論文頻出ワード『医師不足』第一回

今回のテーマは【医師不足】について。できるだけ見やすく書いていきますので、どうぞ、目をお通しください。

平成20年度の医師数調査では、医師数は286,699人と報告されています。これは人口1000人につき医師およそ2.2人となる計算です。

また、こちらは2008年にOECD(経済協力開発機構)が行なった調査ですが、先進国のアメリカは1000人あたり2.4人、フランス3.34人、ドイツ3.56人、イギリス2.61人となっております。OECD平均は3.0人。アメリカ・イギリスと並び、日本の医師比率は、平均以下という結果になりました。医師数の最も多い京都府でも2.7人と、おなじく平均以下です。

では、なぜこのような事が起きているのでしょうか。

医師不足の原因

これには、以下のような理由が挙げられています。

医師の絶対数の不足
病院での必要医師数の不足
地域偏在による不足
診療科に属する医師の偏在による不足
給与レベルに属する医師不足
外来患者数に対する医師不足
業務量増大による医師不足
集約化不足による医師不足

以上、8つになります。

医師の絶対数の不足

先述のとおり、日本国内における医師の数は、およそ29万人といわれており、この数値はOECD加盟国の平均以下となります。

さらには、この医師数調査は医師免許所有者をすべて医師としてカウントしており、たとえば結婚退職した女性医師や、高齢退職の医師を除外すると、フルタイムで医療従事をしているのは、213,000人となるそうです。この数字で計算をし直すと、人口1000人あたり1.6人ほどの数字となってしまいます(粗い計算ですが、ご容赦を)。

(前回アメリカやイギリスとそれほど変わらない数字を出しましたが、向こうでは、フルタイムの医師で計算をしています)

女性医師の数は年々増えていますが、結婚・出産・子育てなどと医療を両立させる環境が整っていないのは、他業種と変わらず、結果として、臨床の現場に復帰できずに家庭に入ってしまうケースもあり、現場に出ている医師数減少に拍車をかけている部分があります。

医師数自体は増えていると言われますが、長年続いてきた医学部定員抑制(*1)の結果、44歳以上の医師と、医師免許をもっているだけの元医者が微増しているだけであり、若手医師は増えていないのが現状です。

*1 日本国内では、医学部卒業と医師国家試験合格によって、医籍に登録され、医師として活動をすることがかのうとなる。しかし、その数が増えすぎた場合は、医師や病院の間で過当競争が生まれることが、危惧される。1970年代中ごろに、各県一医大の構想と私立新設医学部の急増により、医学部入学定員が大幅に増やされた。それを受け、医師の過剰が現実的に想定されたため、1984年以降、医学部の定員が最大時に比べて7%減らされることとなった。医師数抑制を最初に提起したのは厚生省ではなく、第二次臨時行政調査会だった(1982年7月、「行政改革に関する第3次答申‐基本答申‐」)。

同会の提起によって、医師抑制策が政府決定となる。それ以前からも医師出身の医系議員が国会で医師過剰論を唱えたり、マスコミも疑問をもつことなく、医師過剰を『事実』として報道した。しかしながら、『医師過剰』の数字は終戦直後の計算方法によって求めたものであり、当時から日本の対人口医師数は、すでにOECDの平均を下回っていた。
病院での必要医師数の不足

従来、地域の総合病院が医師を確保する方法としては、医局の人事による派遣が主であった。したがって、人事権は各科の医局の一存で決まっていた。このシステムによって地域の総合病院の人的資源は維持されていたが、その非民主主義的な側面を問題として取り沙汰したマスコミや官僚により、医局解体が叫ばれるようになる。

そして平成16年4月からの新医師臨床研修制度により、医局解体の実質的な動きが始まることとなった。この新医師臨床研修制度の開始に伴って臨床研修指定病院*2の要件が緩和される。それ以前は、大学病院など特定の病院でしか研修ができなかったが、これによって民間病院でも研修が可能となった。そうすることで、研修医は大学の医局に属することなく初期研修を受けることができるようになり、医局の人事権が失われていったのである。

また新人医師は多彩な症例が多く見られる病院を選択する傾向があり、また薄給で医療とは関係のない下働きが多いとされた大学病院や症例の少ない地方病院小さな病院での研修を避けるようになった。しかも、都市部の民間病院においても医師不足は深刻なため、研修後も、多くの医師は地方の大学病院に戻らなくなる。

この一連の流れを受け、大学病院での医師が不足するようになり、大学病院は高水準の医療をいしするために、地方に派遣していた医師を呼び戻すようになる。こうして地域の総合病院などから医師が引き上げられ、地域病院の診療科が次々と閉鎖されるなどの問題が、日本の様々な場所でみられるにまで至った。

*2 臨床研修指定病院とは、医学部を卒業し医師免許を取得した医師(研修医)が卒業後2年間、基本的な技術や知識(初期研修)をいにつけるために籍を置く病院である。『指定』とあるように、厚生労働省の審査を受け、指定を受けた病院のみが研修医と雇用契約を結び(研修医であり勤務医でもある)、受け入れが可能となる。

医学部小論文頻出ワード『インフォームド・コンセント』

インフォームド・コンセントとは…

インフォームド・コンセント(informed consent)とは、手術などを行う際に、医師が予め病状や治療方針を分かりやすく説明したうえで、患者から同意を得ることです。

インフォームド・コンセントの歴史

インフォームド・コンセントの起源は1946年のドイツで行われた「ニュルンベルク裁判」にあります。第二次世界大戦中に行われたナチスの人体実験に対する厳しい反省を踏まえて、人体を用いて試験を行う際に、遵守すべき十項目の基本原則を定めたのが「ニュルンベルク綱領」です。

その後、1964年にインフォームド・コンセントの原則を世界医師会が第18回総会で「ヘルシンキ宣言」に盛り込み、欧米を中心に具体的内容が形成されました。

パターナリズムとは…

インフォームド・コンセントに相反するものとして、パターナリズムがあります。

パターナリズムとは、強い立場にある者が弱い立場の者の意志に反して、弱い立場の者の利益になるという理由から、その行動に介入したり、干渉したりすることです。日本語では家父長主義、父権主義などと訳されます

医療の場においては、「医者と患者の権力関係」がパターナリズムであると、1970年代初頭に医療社会学者のエリオット・フリードソンが指摘しました。著書の『医療と専門家支配』では、医療専門職を専門職のプロトタイプとしており、専門職が社会的支配力をいかに獲得し、クライアントに影響を及ぼしてきたかということに言及されています。医療現場におけるパターナリズムは「医療父権主義」「医療パターナリズム」と呼ばれています。

「医療パターナリズム」という立場は、患者を医療行為の対象としてのみ位置づける結果、患者に疎外感や自信喪失をもたらす、患者のQOLや個々の患者が抱える事情を無視して画一的な医療の提供になってしまうという弊害を招いています。さらに医療パターナリズムは、患者が自分自身の状況について自ら知り、自ら生き方・死に方を主体的に選択する権利を損なうものです。こうした理由から今日では、医療パターナリズムから脱却し、インフォームド・コンセントを主軸とした患者の権利を保障する医療を実現しようという方針が、医療において第一の原則となっています。

医学部小論文頻出ワード『SOL(生命の尊厳)と尊厳死』

SOL(生命の尊厳)とは…

SOLとは”Sanctity of Life”の頭文字を取ったもので、訳すと「生命の尊厳」となります。一般的に、人間の生命そのものが神聖であるという考え方です。生命は尊いものであり、いついかなる状況でも死を選ばず生を選ばなければならないという立場です。安楽死や尊厳死ということをを考えた場合、SOLと対立する概念としてQOL(Quality of Life)があります。

QOL(生命の質)

QOLとは”Quality of Life”の頭文字を取ったもので、「生命の質」のことを言います。一般的に、「人間としていかに生きているか」「生きている状態の質」を重視すべきという考え方です。辛さ、痛み、苦しみ、認識力の低下などが生活の質の低下に関わる指標となります。延命治療によってより長く生きることを優先させるSOLと対立するものです。さらにここで、尊厳死という考え方も出てきます。

尊厳死

過度な医療を避け、人としての尊厳をもったまま迎える自然な死のことです。

医療技術の進歩により重症患者でも呼吸や栄養補給、痛みを管理できるようになっています。また、疾病によっては死にいたる過程を人工的に引き延ばすことができます。このような状況をを受けて「尊厳死」が議論されるようになりました

「安楽死」と「尊厳死」の違い

注意すべきは、いわゆる「安楽死」と「尊厳死」との違いについてです。

「安楽死」とは主に、1.末期がんや遺伝性難病により患者に耐えがたい苦痛があり、2.患者の死が不可避に目前に迫っており、3.患者の苦痛の除去・緩和に関して手段がなく、4.患者が自分の生命を短縮したいという意思を明示しているという4つの条件が満たされるとき、患者が医師に対して委託する形で行われるものをいいます。

一方「尊厳死」とは主に、遷延性(せんえんせい)意識障害としてまったく治癒の見込みなく深昏睡の状態にある患者に対し、その状態に尊厳がないとして、生命維持のための援助を止め、ときには毒物の投与等によって死に至らしめることをいいます。

尊厳死は、特定の生存のあり方に「尊厳がない」という理由で、「尊厳のある死」が選択されることといえます。これは、すべての人間の生命は神聖なものであるという生命の尊厳の観点から見れば、容易に許されるものではありません。

尊厳死の難しさ

患者の家族など、尊厳死を求める側から、生命の尊厳という観点から機械的に生命維持だけを続けることに批判が行われることがあります。批判の内容は、まったく意識のない遷延性意識障害の場合には、人格というものが認められない以上、延命治療を施したところで「人間として生きる」尊厳を欠いているのではないか、というものです。

ただし、何を持って「人間の生命」と定義するのかは難しく、安易に尊厳死を認めてしまえば、たとえば重度の知的障害をもつ患者などにも「人間として生きる」ことができない者として尊厳死が適用されるということにもなりかねません。

生命の尊厳とは何かということを考えるきっかけとして、尊厳死について議論することは大事ですが、医師の立場から尊厳死を簡単に認めてしまうべきでないともいえます。

生命倫理学の立場から考えると、この場合には患者の自己決定権を尊重する、という基本的態度が見えてきます。どのような治療を行うかは、医療従事者が決めるのではなく、患者が医療従事者からの助言を参考にして、自分で決めるという原則があるのです。

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医学部小論文頻出ワード『認知症』

認知症とは…

認知症と認知障害の一種で、脳の後天的な器質的障害により知的機能が不可逆的に低下した状態です。一般的には知的機能が後天的に低下した状態のことを言いますが、医学的には、「記憶」「見当識」(時間や場所、人物などに関連する認知の能力)を含む認知障害や、失認(行動の意味の理解ができない)、失行(行動そのものを組み立てることができない)などを含む症候群として定義されます。周辺症状としては抑うつや徘徊などがあります。

認知症の原因

認知症には様々な原因があります。アルツハイマー症など脳神経変性によるものが6割以上を占め、その次に多いのが脳血管性障害によるものである。

脳神経変性認知症

脳神経変性認知症のうち、アルツハイマー症は、アミロイドβタンパクが代謝されずに蓄積・沈着することにより神経毒性が発揮され、脳の神経細胞が変性・脱落することによって引き起こされるものです。その他には脳幹部や大脳皮質に異常なタンパク塊(レビー小体)が蓄積されることによって引き起こされるレビー小体病があり、これは認知症の1割近くを占めます。

脳血管性認知症

脳血管性認知症は、軽度の脳卒中により大脳皮質が広汎に障害されることによって生じる疾患で、損傷部位の違いにより障害の現われ方もさまざまであるのが特徴です。知的障害は「できること」と「できなくなること」が人によって違う「まだら状態」の障害で、脳神経変性疾患とは異なります。

この両方の他にも認知症が発症する要因はありますが、ほとんどの認知症患者が脳神経変性認知症か脳血管性認知症のいずれかです。いずれにしても認知症はその原因によって症状も異なり、介護の方法も異なって来るので、精確な診断が必要です。

医学部小論文頻出ワード『遺伝子治療』

遺伝子治療とは…

遺伝子治療とは、遺伝性疾患と呼ばれる遺伝子に異常がみられるために機能不全に陥っている細胞を修復・修正し、病気を治療することです。

遺伝子治療の成功例として、1990年にアメリカにおいてアデノシンデアミナーゼ欠損症(ADA欠損症)による重度免疫不全患者に対する初の遺伝子治療に成功し、1995年には日本でも北海道で同様の成果が得られたことがあります。

ただし、このADA欠損症に対する遺伝子治療が必ずしも好成績を残しているわけでもありません。さらに発ガンしたケースがあったり、また治療の安全性もまったく保障されていません。

遺伝子治療の問題点

遺伝子治療の成功の鍵となるのは「遺伝子の運び屋」と呼ばれる「ベクター」です。

ベクターには無毒化したウイルスである「ウイルスベクター」、人工化合物などの「非ウイルスベクター」があります。

人工ベクターはウイルスベクターに比べると安全性は高いものの、遺伝子を運ぶ能力(遺伝子導入効率)が大きく劣り、実用化には技術的な課題が多く残されています。一方、ウイルスベクターは導入効率は良いことが知られていますが、安全性に関して問題があります。

1999年にアメリカで、アデノウイルス(肺炎、結膜炎の原因ウイルス)ベクターの大量投与を受けた患者が死亡、2001年にフランスでレトロウイルス(マウスの白血病原因ウイルス)ベクターによる患者への治療で白血病の発症、2007年にはイギリスで同じ症例があるなど、重大な副作用がこれまでに報告されています。

遺伝子治療を成功させるためには、遺伝子を運ぶのに十分な能力、十分な安全性を確保した全く新しいベクターを開発することが肝心となります。